創立30周年記念事業
■ 解 剖 碑 整 備
 建立年
 明治22年(1889年)3月1日
 
建立者 賀茂医会第三支部会
 
寸  法 高さ100cm 幅86cm 厚さ18cm
 
所在地 東広島市高屋町稲木2400番地(2003年7月吉日、稲木1521番地より移設)

この解剖碑は、遺体を医学の進歩のために捧げた中町逸平氏の崇高な精神を讃え記念して賀茂医会(東広島地区医師会の前身)によって建てられたものである。
解剖は、明治21年(1888年)12月6日、中田逸平氏の遺言により高屋町稲木 西岡清三郎氏宅で、医師 黒川三益(福富町久芳)により行われ、賀茂郡内の医師30数名が立ち会った。解剖碑の碑文は、八本松の医師 頼 シュン造*の書である。(*シュン:屯のしたに日)

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  【原文】

 [碑陰]
   下見村 石工  結城谷助





訓読文の看板も設置もされましたので、お近くにお越しの際は立ち寄ってみてください

【 訳 文 】
人は天地の間にある物として最も尊いものである。
医学は人にとって重い関わりがあって大切なものである。
ああ、中町逸平氏は人間という尊い身を医学の発展のために犠牲として捧げられた。
明治二十一年の冬の十二月六日、(賀茂医師会は中町氏の遺体を)解剖した。
病魔が隠れて患っていたのは、肝臓癌であった。
人間という貴い身である中町氏が亡くなって、人間にとって重い存在である医学の発展がもたらされた。
(かくて、)人体の奥深い状況が始めて極められて明らかになった。
(賀茂医師会が)医学上の成績を十分につかみ取って医学の発展によい結果を残したのは、我々医者たる者にとって治療法や薬剤処方を書き記した書物入れ(医学参考書)である。
ああ、中町逸平氏は、たった一人の身体によって、万人の体を直すことができるようにしたのである。
中町氏の功績や人々への利益は、高くもあり大きくもあって、天地が(中町氏の功績や恩恵を)覆い載せようにも、(余りに高大過ぎて)覆い載せきれないほどである。
我々は中町氏を大いに盛んに思慕追懐する余り、くどくどした言葉をこの碑文に刻んで、(中町氏の功績を)無窮の未来へ示す。

   賀茂医会第三支部会がこの碑を建てた。
   明治二十二(一八八九)年三月一日

   [碑陰]
     下見村の石工、結城谷助がこれを刻した。

    (訓読文・訳文)
      広島大学大学院研究科 教授 狩野 充コ


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